横琴自由貿易区、夢を追い求める若者たち

 2016-02-10
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米国帰りの孫明斎博士。横琴自由貿易区の起業バレーを足がかりに、バイオエンジニアリングを応用した医療機器の分野で新天地を開拓しようと意気込みに燃えている。

入念に洋酒を選ぶ宮勝男さん。横琴自由貿易区の輸入商品免税店は、人々のショッピング天国として人気を呼んでいる。

横琴紅旗村で賃貸物件を案内する謝速蓮さん。47歳の謝さんの毎日の光景だ。

横琴総部大厦の屋上で作業する作業員。付近にはすでに高層ビルが林立している。

マカオ大学横琴キャンパスは2013年に正式に運用開始となった。

   珠海横琴自由貿易区の十字門エリアでは現在、横琴国際金融センター大厦が建設されている。向かい側にはマカオが眺められる。

 

珠海市の横琴新区は3年前、やっと飛び立つところだった。3年 は瞬く間に過ぎ、埋め立てや土木工事が進んだ。水を隔てて隣接するマカオとの距離はますます近くなり、横琴自由貿易区も運営が開始され、市場化・国際化・ 法治化された発展環境はますます整いつつある。横琴島の人々は皆、自由貿易区の発展の体現者である。横琴を変化させているのは彼らであり、彼らもまた横琴 によって変わりつつある。

2015年12月、横琴紅旗村のある民家では、47歳 の謝速蓮さんが携帯を耳に当て、鍵の山から目当ての鍵を探していた。電話の向こう側の声がやまないうちに、謝さんは家を出て、賃貸希望者と交渉を始める。 謝さんの毎日はこんな調子である。発展の新段階を迎えた横琴で謝さんが「財産を築く鍵」として選んだのが、賃貸不動産の仲介だった。

謝さんは1988年、広東省北東部の故郷・梅州から横琴にやって来て、雑貨の商売を始めた。その頃の暮らしは苦しかった。マカオ人にとって当時の横琴は、魚釣りに絶好の場所に過ぎなかった。

転換点になったのは2009年だった。横琴は、中国第三の国家級新区としての認可を受け、横琴新区の開発が正式に始動した。かつての荒れ地には人々が集まり始め、ビジネスの機会も増加した。謝さんはこれに希望を見つけた。

謝さんはいつも、「横琴の未来は、ここで駆けずり回っている若い人たちのものだ」と話す。

謝さんの指摘は的を射ている。横琴では今日、才気あふれる若者たちの活躍する姿があちこちで見られる。謝さんのもとに客としてやって来た孫明斎さんは、米 国帰りの博士である。横琴自由貿易区の起業バレーを起業の足がかりに選んだのは、自由貿易区の貿易の窓口としての機能に目をつけたためだ。バイオエンジニ アリングを応用した医療機器の分野で新天地を切り開こうと意気込んでいる。

横琴自由貿易区輸入商品免税店では、28歳の宮勝男さんが熱心に洋酒を選んでいた。この美しい女性は、内蒙古自治区のフルンボイル市からはるばるやって来たというが、南方の仕事のリズムにはとっくに慣れてしまったという。

宮さんは、起業を志す若者と触れ合うことでインスピレーションを受けている。宮さん自身も昔、起業を志したことがあった。だが当時は、夢をサポートするこ うした条件は整っておらず、指導や交流によって知識を深める環境もなかった。だが現在の横琴ではすべてがそろっている。「起業の種さえあれば、ここは最高 の土壌だ」

自分で起業することはなかった宮さんだが、勤めている会社の仕事の一環で起業バレーの広報映像を撮るようになり、自分なりの「起業」をしていると感じるよ うになった。会社のリーダーは、「起業バレーは我々にとっても起業だ」と話す。起業バレーは、最良の革新環境を模索し、入居するチームや企業への優れた サービスの提供に努めている。宮さんは、自由貿易区建設の時代に巡り合わせたことを幸せに感じている。宮さんにとって起業に必要なのは小さな「こだわ り」。起業バレーには、夢にこだわる人々が集結している。

先行や試行に積極的な自由貿易試験区では、いつも革新が可能で、やりたいことはすぐできる。チャンスを逸したとか、青春を無駄にしたとかいうことはここに はない。ここで活動する若者は、発展を続ける横琴とともに成長し、「一人ひとりが横琴自由貿易区のスポークスマン」(宮さん)となり、誇りを持って夢を追 求している。